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2008年7月16日 (水)

日航機墜落と遺書…「クライマーズ・ハイ」

ex. 25

先週、1985年8月に起きた日航機墜落事故を扱った映画「クライマーズ・ハイ」を観ました。ちょうどこの年の末に長男を出産。思いの強い年の出来事です。
被害者が家族に残した最後の言葉が遺品として見つかったという報道に、なんともいえない衝動を受けたものです。なんという勇気というか・・パニックの絶頂期にすごい。。と当時は感じました。
さて、事故後23年が過ぎた現在、私も主人も遺書を書いた人達に年齢や環境が近くなっていました。
改めてこの遺書の一部が映画で読まれる場面。
あんな状況で残された言葉というのは、きっと最も伝えたい相手に宛てた、最も伝えたい飾りも何もないストレートな思いでしょう。。
そして、ふいにきっと主人も私も同じことをするに間違いない、そう感じた瞬間、映画を観ながら涙が溢れてしまいました。

以下参考 : 日航機墜落事故 東京-大阪123便 新聞見出しに見る20年間の記録 
http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-index.htm         

谷口正勝さん(40)
機内に用意されている紙袋にシャープペンで。
    
まち子
子供よろしく
大阪みのお 谷口正勝
6 30
   
吉村一男さん(横浜市金沢区の会社員)
遺族が遺品の整理をしていて遺書が見つかった。社用の便せんらしい紙にボールペンで走り書きされており、勤務する会社の茶封筒の中に入っていた。

しっかり生きてくれ。(二人の子供を)よろ
しく頼む
   
河口博次 さん(52)
遺体の上着の胸ポケットに入っていた手帳に7ページ
(映画「クライマーズ・ハイ」にて引用されている)
    
Photo_6 マリコ
津慶
知代子
どうか仲良く がんばって
マママリコをたすけて下さい
パパは本当に残念だ
きっと助かるまい
原因は分らない
今五分たった
もう飛行機には乗りたくない
どうか神様 たすけて下さい
きのうみんなと 食事をしたのは
最后とは
何か機内で 爆発したような形で

煙が出て 降下しだした
どこえどうなるのか
津慶しっかりた(の)んだぞ
ママ こんな事になるとは残念だ
さようなら
子供達の事をよろしくたのむ
今六時半だ
飛行機は まわりながら
急速に降下中だ
本当に今迄は 幸せな人生だった
と感謝している
   

村上良平さん(43)
社名入り封筒に。

機体が大きく左右にゆれている
18・30 急に降下中
水平ヒコーしている
日本航空18・00大阪行事故
死ぬかもしれない 村上良平
みんな元気でくらして下さい。
さようなら 須美子 みき 恭子 賢太郎
18・45 機体は水平で安定して
酸素が少ない気分が悪るい
機内よりがんばろうの声がする
機体がどうなったかのかわからない
18・46 着陸が心配だ
スチュワーデスは冷せいだ

松本圭市
 さん(29)
愛用の中型ノートにボールペンで。
    
Photo_5 PM6・・・30
知子 哲也(両親を)をたのむ 圭市
突然 ドカンといってマスクがおりた
ドカンといて降下はじめる
しっかり生きろ
哲也 立派になれ
    
白井まり子さん(26)
フライト時刻表の余白に。
    
恐い
恐い
恐い
助けて
気もちが悪い
死にたくない
まり子
         
対馬祐三子さん(29)アシスタントパーサー。
不時着を想定して書いた緊急アナウンス用のメモ。英文をまじえて、書いてあった。
         
おちついて下さい
ベルトをはずし
身のまわりを用意して下さい
荷物は持たない
指示に従って下さい
PAX(乗客)への第一声
各DOORの使用可否
機外の火災CK(チェック)
CREW(乗員)間CK
ベルトを外して
ハイヒール
荷物は持たないで
前の人2列
ジャンプして
機体から離れて下さい
ハイヒールを脱いで下さい
荷物を持たないで下さい
年寄りや体の不自由な人に手を貸
火災
姿勢を低くしてタオルで口と鼻を覆って下さい
前の人に続いてあっちへ移動して下さい

    

慎んでご冥福をお祈り申し上げます。

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コメント

映画は観てないけど、原作は読みました。
自筆のメモを見ると、胸が締め付けられるような思いがしますね・・・。

男の人は、やっぱり妻や子供のこと、いつも気にかけて愛しているんだなあって改めて感じます。
わたしも凛さんと同じような気持ちになりましたヨ・・・。

byこころ


>こころさん

恐怖心よりも、家族へ想いを伝えることに一心に集中したのですね。
こんな手紙にはどんな文章も束になってもかないません。

投稿: こころ | 2008年7月17日 (木) 08時20分

1985.08.12… あの日の衝撃的な映像は忘れられません。

当時小学校4年生だった僕は、群馬県の高崎市(生存者の方々が搬送された日赤病院のある前橋市の隣)に住んでおり、一度現地を訪れた記憶があります。

インターネットが整備された現在、様々なサイトや掲示板で日航ジャンボ機墜落事故の話題が取り上げられていて、それらの書き込みを読み耽っていると、なんとこの事故を知らない若い方らしき文面が目にとまりました。

僕は『まさか』と思いましたが、考えてみれば、もうあれから24年もの月日が経ったのですね。世界でも類を見ない、あれだけの大惨事を風化させてはいけないと思います。

同機には、全米ヒットチャートNo.1歌手の坂本九さんや、僕たちと同世代の子ども達もたくさん搭乗していました。お亡くなりになられた方々は無念だったことでしょう。

この事故に関しては、当時の運輸省鉄道航空事故調査委員会の発表に対して、原因追求が曖昧でいい加減過ぎる、物理的に有り得ない等と多くの専門家や各メディアから叩かれていました(真相はいまだに不明)。
フライトレコーダー(ブラックBOX)の交信記録を聴いてみても、いまだ全てが公開されていません。いや、国民に聴かれたらまずい様な後ろめたい事でも有るのでしょう。
しかし、公表された内容でも高濱機長は衝撃の瞬間『何か爆発した!』と確かに言っています。これは機体の破損などではないという事を意味している証拠でもあるのです。

死人に口なし等と昔から云われますが、これら不明瞭な点を明らかにすることこそが、被害者の方々が生きたくても生きられなかった未来を託された我々の使命であるはずです。まかり間違えば同機に乗り合わせていたかもしれない全てに平等な国民の意識としても未来永劫忘れられてはならないのです。忘れられて得をするのは加害者たちなのですから。
現政権にも「真摯な対応で原因解明」を続行して頂きたいものです。

manatsunoyonoyume
   
>manatsunoyonoyume様
  
コメントありがとうございます。
一番多感な時期にこの事故を間のあたりにしたのですね。
流れゆく時間の中で、たった一日のたった1件の事故ですが、歳を重ねるにつれ幾重にも違った意味,感じ方が重なるもので、今は遺書を書かれた方々の無念が実感されます。
もしこの事故にまだまだ奥があるのでしたら、過去の終ったこととせずどんなに時間がたっても中途半端な決着で済まされないようにして欲しいものです。

投稿: manatsunoyonoyume | 2009年9月10日 (木) 03時01分

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