ex. 4-1
某高校日本史の授業資料より抜粋
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※特攻隊を語り継ぐことは、戦争を美化することではありません。人によって受け止め方は異なると思いますが、過去の、そして現在の「日本」を考える材料として昭和史の授業の最後にこのプリントを配ります。(日本史担任より)
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[少尉 第二三振武隊 昭和二〇年四月一日出撃戦死 二六歳]
母上様
お達者でお暮らしの御事と存じ上げます。
二十八年間は夢の様でした。この二十八年間の母上様の御苦心、御辛抱、肝に銘じて居ります。されば今日の日を勇んで征きます。
綾子の事に付いては父上様と共に大変お世話になり、今日まで無事人並みに立って来ました。これも皆父上様、母上様の御力の賜と深く厚く御礼申し上げます。
綾子の事に関しては母上様今後とも一層御面倒を見てやって下さい。あれも正式なる式も挙げ得ず、常に二人で一度でよいから帰郷したいと申して居りましたが、それは出来ませんでした。
それ故隣り近所の方々とは未だ親しくいたして居らず、突然一人ポッチリでは随分苦労すると思います。
女は女と、綾子の事は母上様くれぐれもよろしくお頼み申し上げ、最後に母上様の御健康をお祈りいたして失礼いたします。 昭和二十年三月二十一日
[少尉 第二十振武隊 昭和二十年四月一二日沖縄周辺洋上にて戦死 二三歳]
二人で力を合わせて努めてきたが終に実を結ばずに終った。
希望を持ちながらも心の一隅であんなにも恐れてゐた”時期を失する”といふことが実現して了ったのである。
毎月十日、楽しみの日を胸に描きながら池袋の駅で別れたが、帰隊直後、我が隊を直接取巻く状況は急転した。発進は当分禁止された。転々と処を変へつつ多忙の毎日を送った。
そして今、晴れの出撃の日を迎へたのである。便りを書き度い、書くことはうんとある。
然しそのどれもが今迄のあなたの厚情に御礼を言ふ言葉以外の何者でもないことを知る。
あなたのご両親様、兄様、姉様、妹様、弟様、みんないい人でした。
至らぬ自分にかけて下さった御親切、全く月並の御礼の言葉では済み切れぬけれど「ありがとうございました」と最後の純一なる心底から言っておきます。
今はいたづらに過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。問題は今後にあるのだから。
常に正しい判断をあなたの頭脳は与へて進ませてくれることと信ずる。
然しそれとは別個に、婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って征きたい。
「あなたの幸を希ふ以外、何物もない。
「後に過去の小義に、拘る勿れ。あなたは過去に過去に生きるのではない。
「勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。
あなたは今後の一時々々の現実のなかに生きるのだ。
○○(私)は現実の世界にはもう存在しない。
極めて抽象的に流れたかも知れぬが、将来生起する具体的な場面々々に活かしてくれる様、自分勝手な一方的な言葉ではないつもりである。
純客観的な立場に立って言ふのである。
当地は既に桜も散り果てた。大好きなどんようの候が此処へは直に訪れることだらう。
今更何を言ふかと自分でも考へるが、ちょっぴり欲を言って見たい。
1.読みたい本 「万景」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」
2、観たい画 ラファエル「聖母子像」芳崖「慈母観音」
3.智恵子。会ひたい、話したい、無性に。
今後は明るく朗らかに
自分も負けずに朗らかに笑って征く。
昭20.4.12
[大尉 第一六五振武隊 昭和二〇年六月六日出撃戦死 22歳]
色々有難うございました。
別に言うこともありません。
唯有難くうれしくあります。
最後の時まで決して御恩は忘れません。
月なみな事しか出て来ません。
姉妹の皆さん、
いよいよ本当にお別れ。
今でも例のごとくギャアギャア皆とさわいでいます。
哲学的な死生観も今の小生には書物の内容でしかありません。
国のため死ぬよろこびを痛切にかんじています。
在世中お世話になった方々を一人一人思い出します。
時間がありません。
ただ心から有難うございました。
笑ってこれから床に入ります。
オヤスミ
あんまり緑が美しい
今日これから
死にに行く事すら
忘れてしまいそうだ。
真青な空
ぽかんと浮ぶ白い雲
六月の知覧は
もうセミの声がして
夏をおもわせる。
作戦命令を待っている間に
小鳥の声がたのしそう
「俺もこんどは小鳥になるよ」
日のあたる草の上
ねころんで
杉本がこんなことを云っている
笑わせるな
本日一三時三五分
いよいよ知覧を離陸する
なつかしの
祖国よ
さらば
使いなれた
万年筆を”かたみ”に
送ります。
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